人との別れを経験したり、環境が変わったりすると、「今までの自分は幸せだったんだなぁ」とふと考えることはありませんか?
しかし毎日の生活でその幸せを実感できることってなかなかないのではないのかな?と思います。
そのせいで後悔が生まれることもありますよね。
「もっとあの時楽しんでおけばよかった」「あの頃の幸せに感謝すべきだった」
というようなものです。
いったいどうして幸せを失った時にしかその幸せに気がつくことができないのでしょうか。
今回はその理由に迫っていきたいと思います!
1番大きな理由としては、人は絶対評価することができないからであると考えます。
絶対評価です。
どういうことかと言うと、例えば身長180cmの人がいたとします。
その180cmという人を見てどう感じるでしょうか?
多くの人は、「高身長である」と何も考えずに答えると思いますが、その背景には必ず比較対象があります。
もし世界に1人しかいなかったとしたら、180cmはどうですか?と聞かれても、「高身長である」とは答えられないんですよね。
それが、絶対評価できないということです。
幸せなのかどうかということも同様の考えに帰結できるのではないでしょうか?
「今あまり幸せでない」という状況に陥ったからこそ、あの頃は幸せだったなぁと感じることができるわけです。
毎日幸せだったら、特に今幸せだなぁなんて感じません。
言葉を覚えたての3歳児が、「毎日幸せだなぁ」なんて言ってたら違和感を覚えるのではないでしょうか?
その理由は「過去」という比較対象がないからです。
過去の記憶がないのにも関わらず、今幸せだなぁと感じられるというのはおかしいことですよね。
他人と比較した可能性もなくはありませんが、そのような社会性を3歳で身に着けているのも少し怖いです(笑)
当たり前の話ですが、結局のところ過去や他人との比較でしか、幸せかどうかを判断することはできないのです。
ではずっと順風満帆にきている人や、昔の幸せを失ったと思っている人が今の幸せを実感できないのかと言われると、そんなこともないのではないかと思います。
それはそれで方法があります。
それは、未来と比較することです。
先のことを想像するのがいいのではないかと思います。
このブログを読まれている方が、学生さんなのか社会人さんなのか、主婦の方なのか老後を楽しまれている方なのかわかりませんが、必ず未来に変化が待っています。
その未来を想像するのです。
良い未来も悪い未来も。
良い未来は僕達の原動力になりますから、無意識にどんどん積極的に考えますよね。
しかし悪い未来はどうでしょう。
あまり考えたくないから、スルーしがちなのではないかと思います。
ここは賛否が別れる所だとは思うのですが、僕は良い未来も悪い未来も、予め考えるべきなのではないかなと思います。
「今の幸せを大事にしよう!」と考えることができれば、後から後悔することもありません。
昔の幸せに気が付いていなかったな、、。ということも最小限にできるのではないかと思います。
特に後から人との別れが伴う場合は、今できることを今のうちにするべきなのではないかなぁと個人的には思いますね。
拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^O^)