こんにちは。
2016年に、神奈川県相模原市の障害者施設「やまゆり園」の元職員が障がい者19人を殺害したという、前代未聞の事件がおこってしまいました。先日、初公判が行われましたね。
とてもいたたまれない気持ちになったのと同時に、犯人への憎しみが絶えません。
しかしどうしてそのような事件が起こってしまったのでしょうか。
今回はこのようなことが2度と起こらないよう、願いを込めつつ犯人の動向を分析していきたいと思います。
犯人が逮捕され、取り調べを受けた際のやりとりが、先日ニュースで取り上げられていました。
警察のどうしてそのような事件を起こしたのか?との問いにたいし、被告は「障がい者は役に立たないのでこの世に必要ないと思った。今の日本に障がい者を支える余裕はない」と答えたそうです。
無論、障がい者は役に立たないという自分勝手な理屈で19もの尊い命を奪うということは普通とは思えず、犯人の精神的な要素も当然原因の1つに考えられます。
しかし専門家はこれに対し、世の中の生産性を遵守しすぎるあり方が、さらに原因の1つとしてあるのではないかと考えており警鐘を鳴らしています。
社会に出たら役に立つか役に立たないか。この2つで切る風潮があまりに一般化しすぎているせいで、窮屈な世の中になってしまっている。
と言います。
僕達の多くは、生産性の高い人間が生き残り、評価される世の中が当たり前だと潜在的に思っていますし、特に問題視もしていません。
役に立たない者は雑用に回され、いつまでも出世できない。最悪の場合はクビにされてしまいます。
しかし、それによって皺寄せを感じてしまう存在もあるのだということを考えさせられます。
まさに、障がい者の雇用も問題になっていますし、、。
話が少し逸れてしまいましたが、現に犯人は「自分は役に立たない人間である」という自分自身への呪縛に苛まれ、自分を責め、悩み続けた結果「役に立たない人間には価値がない」という思考に至ったと考えられます。
しかしどうでしょうか。
日本は労働生産性へのこだわりが強い割に、世界的に見ても生産性があまり高くないという現実がありますよね。それってなんか損をしているような感じがしますよね。
アルバイトをしてても、この人やけに生産性にこだわるけれど、そこまで生産性高くないんじゃないかな?って感じる人っていますよね。笑
意識だけが前に出すぎてしまっていて、質が伴わないという現実もあるように思います。
それに加え、役に立つ立たないということが、労働だけの話に帰結するというのはあまりにも無理があります。
障がい者だって頑張って生きているし、頑張って生きる姿が誰かのエネルギーの糧となり、生産性を上げてくれます。
それだけで充分人の役に立っているのです。
労働生産性が低いから人の役に立たないというのは、どう考えても日本社会が生み出したエゴと言う他ありません。
あまりに思考が偏った犯人の犯行で考えさせられたこの世のあり方ですが、具体的に労働生産性をあげるなら、もう少し人の心に直接的に働きかけ、モチベーションを上げてくれるようなシステムが増えたらいいなと個人的には思います。
そしていつの日か、役に立たないという理由で排除されるような考え方が少しでも減ればいいなとこの事件を通して考えました。
拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^O^)