メンタルてちてち

心理系、福祉系の話題が多いです。少しでも皆様に役立つ情報を発信できればと思います。

配慮が必要な方(主に発達障害の方)と共に働く時のリアルな気持ち

 

こんにちは!

 

いきなりではありますが、皆さんの職場に「配慮が必要な方」はいますか?

例えば、極端に空気が読めなかったり、言われたことを理解できなかったりするような方です。

このような方は、ある程度人数のいる職場であれば、1人程度はいるのではないかと思います。

今回は、その方と共に働く上で恐らく目立った特性がないであろう私自身がどのように感じているのか、敢えて記事にしてみようと思いました。(もしかしたら私も何かしらある可能性もあります)

もしも自分に自信がなくて職場で不安に思われている方自分が迷惑をかけているのではないかと思われている方などがいらっしゃいましたら、是非参考にしていただければと思います。

 

※注意

あくまでも、誰もが働きやすい環境を作りたいと思った上で思考を重ね記事にしているもので、決して差別的な内容を発信したいわけではありません。

前提として私は、配慮が必要な方も含めて生きやすい世の中になればと考えているということは、まず初めにお伝えさせてください。

 

何故この内容を記事にしようと思ったのか

 本題に入る前に、私がこの内容を記事にしたいと考えた背景について、述べておきます。

 もしかすると、「この人は配慮が必要な人を煙たがっているだけなのではないか」と思われる方がいるかもしれないと思ったためです。

 今現在、LGBTQや障害者の方などを含めた全ての人々を社会で生きやすくするための「多様性を認める社会」の拡大が見られます。

 多様性の拡大はまだまだ、課題を残していますが、数年前と比べると非常に社会において浸透してきています。

 近年、大きな変化を遂げていますが、その中でも私が大きく変化してきているなと感じるのは、SNSやメディアにおいて生きずらさを抱える人が、その実情を発信しやすくなってきているということです。

 これは目覚ましい変化であり、私自身その変化をとても喜ばしく思います。

 

 しかし、配慮が必要と思われるような立場の方々からの視点での発信はとても多く見られますが、その逆はどうでしょうか?

 つまり、配慮が必要な方々に対して受け入れる立場がどのように捉えているかを発信する場は十分にあるのか?ということです。

 

 

 もちろん配慮は必要です。

 しかしその上で、受け入れる側と受け入れられる側の両者の立場を踏まえて上で、相互の歩み寄りが必要になってくるのではないかと考えています。

 それが真の多様性を受け入れるための社会の実現に近づくことになるのではないかと信じ、私は敢えて職場の配慮が必要な方々へどのように感じているのかを主観的に記事にしていきたいと思っております。

 当事者の方が少しでも「このように感じているのか~」と知っていいただけるだけでも、私はこの記事を書いた意義をとても感じます。

配慮が必要な方へ適切な配慮をすることそのものは、ストレスではない

 まず前提としてですが、適切な配慮をすること自体には、私はストレスを感じていません。

 というのも、例えば「言われたことを覚えることができない」であったり「場の雰囲気を読むことができない」といったような特性のある方がいたとします。

 自ら申告があった場合は特にありがたいのですが、自らの特性を他人にお伝えするというのはとても難しいことだと思います。

 大体の場合は、その情報を与えられずにその当事者と関わるケースがほとんどだと思います。

 はじめは違和感を感じるケースがあるかもしれませんが、時間と共に次第に「その人がもつ特徴」として特性を受け入れます。

 結局のところ、特性の有無は関係なく、他者を変えることはできませんからね。

 会社の組織の中にいる従業員として働いている以上、他の従業員を受け入れるということは使命であると私は思っております。

 そのような意識や自覚の中で働く私にとって「聞いたことがわからない」といったような特性というのは、「使命だ」という自己認識の中で受け入れられる範疇なのです。

 

では困難を感じるのはどのような場面か

 きれいごと抜きで、書きます。

 正直、配慮が必要な方とお仕事をする上で今まで困難を全く感じてきていますと言ったら、それは嘘になります。

 では、どのような時に困難を感じるのかを率直に記していきたいと思います。

 

 例えば、「△△をしてもらえるとありがたいです」とその人が取り組んでいるのとは違う作業をしてほしいとお伝えしたとします。

 その際に、素直に応じてくださる方もいるのですが、中にはそうでない方もいます。

 会社としては〇〇という作業のほうが△△の作業のほうが相応しい!と一定の根拠に基づいて判断されるケースの場合、〇〇ではなく△△をお願いしますと言わざるを得ないケースがあります。

 しかし「△△をお願いします」と率直にお伝えした結果「今取り掛かっている△△という作業が否定された!」と感じられ、感情的になる方がいるのです。

 私としては△△ができていなかったという特性そのものよりも、〇〇という作業から素直に△△という作業に移行していただけなかったときに私は困難を感じてしまうということです。

 

結論:配慮の有無よりも性格

 結局のところ、配慮の必要のある人もそうでない人も、個人的には性格次第であるということです。

 例えば配慮が必要な方であっても、従業員の指示やアドバイスに耳を傾けて一生懸命勤務される方にはストレスはあまり感じませんし、配慮の必要のない方であっても、プライドが高すぎるなどの要因により、そのようなことが難しい方にはストレスを感じてしまいます。

 特性に対する配慮は必ず必要です。だって無理なものは無理ですから。

 そもそも、会社側の判断で皆さんを雇用されている以上、配慮は従業員の義務であると考えます。

 ただし、やはり人間同士ですから、どのような社会であっても対人ストレスからは仕事をする以上免れることは難しいです。

 そのため、「好かれる性格」「好かれない性格」の方との交流で、受けるストレスに差がでるのは当然だと思うのです。

 

 途中でも書きましたが、配慮をする側とされる側の、相互の歩み寄りによって本当の参画社会が完成するのではないかと感じております。

 この記事が、ほんのちょっとでも良いので、そのような社会の実現に向けて進んでいけたらうれしいなあと思っております。

 

 拙い記事ではありましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。