突然ですが、これをご覧になっている方に質問です。
あなたは、反省することが好きですか?
どちらでもないと答えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、どっちかといえばNOかなと思う人が多いのではないでしょうか?
ここですぐにNO!と自信をもって答える人は、「自責」と「反省」を混同させてしまっている可能性があります。反省することが嫌いであるという理由として、自分を責めてしまい、つらい気持ちになりたくないからということが大部分を占めているのではないかと思います。
もしあなたが、「自責」と「反省」を混同させているのだとすると、それは自分のメンタルを良好に保つ上では最悪だと思っています。
今日は、この「自責」と「反省」を混同させてしまう問題点とその打開策について記事にしていきたいと思います。
そもそも、自責と反省の違いは?
まず、具体的に自責と反省がどのように異なるのかということを、明らかにしていきたいと思います。
「自責」と「反省」で最も大きく異なるのは、今後にプラスの側面をもたらすのかどうかということです。
「反省」は、自分の行動について振り返りをしていくことで、今後もっと良くしていくためにはどうしたらいいのかということについて明らかにすることになりますので、確実に自分の成長につながります。ネガティブなことがあれば、「同じことを繰り返さないようにしよう。」と考えられるのはもちろんのこと、ネガティブなことがなかったとしても、「どのようにしたらより良くなるのだろうか。」と考えることができ、これは非常に有益なものとなります。
しかし、「自責」は違います。自責はとにかく自分のことを責め、ネガティブな気持ちを増強させる行為です。「自分になど価値はないのだ。」「自分なんてダメだ。」と唱えてしまい、発生した物事に対して反応してしまうものです。この自責は、未来に向かう働きかけでもなければ、成長した自分に対しての働きかけでもないため、有益となることはありません。それどころか、何よりも自分が傷つきます。
せっかく傷つくのなら、何か得られるものが欲しいなと考える私にとっては、なかなか辛そうな状態だなと達観してしまいます。
自責と反省を混同させる問題点
自責は悪い側面しかもたないことに対し、反省は未来に向けて非常にいい側面ももつと前項で説明させていただきました。では、もし失敗が生じたときや、自分が責められることがあったときなどの時において、自責と反省を混同させてしまうとどのような問題が生じるのでしょうか。
具体例を挙げて説明させていただけたらと思っています。
成長しにくくなる
自分を責めていい気持ちになる人などいません。当然、私も嫌です。
自分を責めることと反省することをほぼ同義と考えている人は、反省することに対しても嫌悪感や恐怖心を感じるため、避けてしまうのです。
その結果、自分を顧みようとする習慣が少なくなるため、自己成長を見込むことがそれだけ難しくなってしまうのです。
さすがに同じ失敗を繰り返していては、周りからの信頼をなくしますのでそのような別の圧力によって是正できるでしょうが、人から指摘されたことについて素直に受け入れられなかったり、低い位置で妥協してしまい、向上心が見られなかったりするような特徴が否定できないため、同じ経験をしても、成長度合いがあまり高くない可能性があります。
完璧主義になりやすくなる
完璧主義になりやすくなります。これも前例と同様、反省に対する恐怖から、「反省しなければならない状況」というのを極力減らさなければならないと考えてしまいます。
その結果として、完璧主義になりやすくなってしまうのです。完璧じゃなければダメ。もし完璧にできなければ、自分を責めてしまう。というようマインドが働いています。仮に完璧にできなかった場合も、この人の見立て通り自責が働くのです。つまり、予期不安で完璧主義になり、実際に直面して自責するという二重でマイナスなことが起こっているのです。
ちなみにですが、完璧主義を打破する方法するための考え方については、先日別記事について書かせていただいています。
興味を持たれた方がいらっしゃったら、ぜひご参照ください。
気付いたら問題が山積みになる
反省することを恐れるばかりか、自分にネガティブな感情が巻き起こっているという事実にも直視しずらくなってしまう可能性があります。
何か問題が起こっているのにも関わらず、反省することが億劫だからといって放置してしまうのです。その結果、小さな問題がどんどん蓄積していき、やがて支えきれなくなってパンクしてしまいます。
「〇〇さんとの関わり方がわからない」「クレームに対しての対処がわからない」「初対面の人とどのように会話を続けたらいいかわからない」「△△さんにどう思われているのか不安だ」などですかね。なんとなく思いついたありがちな不安を羅列してみましたが、実際にはもっと様々な問題が個々に存在していることと思います。
自責と反省の混同そのものがメンタルを追い込んでしまうだけでなく、問題解決能力の低下を招き、間接的にそれがメンタルを追い込むというダブルパンチの構図なのがおわかりいただけるのではないかと思います。
人間関係の悪化を招きやすい
前述のように、自責と反省の混同により、反省しにくくなるというケースがあります。反省ができなくなってしまうと、素直に自分の非を認められず、もめごとに発展したり、葛藤関係をつくりやすかったりするような人がいることと思います。
またこれがエスカレートし、「自分のことを責めているのだから、反省しなくて良いでしょ?」と考えてしまっている人が時々いるのです。
「はいはい、私が悪いのね。」「私のせいにしてれば良いじゃないの。」「良いよ、私が悪いから私が死ねば良いんだ。」というような形で、自責を後ろ盾にして一切反省しないということがあるのです。このパターンの人のほうが、精神状態が重篤のような気がしないでもないですが、これもこれで自責と反省を混同させてしまっていることによる弊害であることが否定できず、かなり大変です。
まとめ
冒頭の「あなたは、反省することが好きですか?」という質問をもし僕が受けるとすると、自信をもってYESと答えます。
僕は、反省することが大好きです。一番効率よく、人間が成長できる術だということを知っているからです。ただしその代わり、絶対に自分のことを責めません。(ちょっと盛りましたね。突発性の高いことが起き、十分に対応できなかったときなんかは、責めてしまうことがあるかもしれません。)
日常の人間関係のもつれ、失敗などで反省はすぐしますが、そこで自分を責めようという心の動きは一切働かないです。自責は、百害あって一利なしであるということを知っているからです。
この区別ができているからなのかどうかわかりませんが、僕自身あまりストレスを感じない性格であり、生きていて楽しいです。
なんだかメンタルに不調を感じているなと感じることが多い人というのは、これに該当する可能性がありますので、是非疑ってみると良いのではないでしょうか。
拙いブログではありましたが、ここまで御覧いただきありがとうございました(^O^)/