メンタルてちてち

心理系、福祉系の話題が多いです。少しでも皆様に役立つ情報を発信できればと思います。

人から嫌われるのが怖い!人から嫌われたくない!という人、集まれ~!

 

 皆さんは、今までの人生の中で、「あの人とそりが合わない」「あの人とだけはうまくいかなかった」など、色々な葛藤関係を他人と築いてきたという人が多いのではないでしょうか?

 中には、人から嫌われるたびに傷ついてしまう、落ち込んでしまう、という人もきっと少なくないのではないかと思います。確かに、誰しも人から嫌われてしまったら良い思いはしませんよね。僕も決して、良い思いをしているとは言えません。

 しかしながら、落ち込みすぎてしまったり、傷つきすぎてしまったりする人には、ある共通する「認知の癖」のようなものがあるような気がしています。

 この「認知の癖」こそが、人から嫌われてしまったときに自分の心を苦しめているのではないかと思います。本記事では、その癖にアプローチして、少しでも人から嫌われてしまったときの皆さんのダメージを軽減させることができたら良いなと思います。

 

 

 人から嫌われた時、こう思っていませんか?

 人から嫌われるようなことをした自分が悪い

 これが今回の記事で、私が皆さんに最も伝えたい項目です。これだけでも、どなたかに刺さっていただければ充分嬉しいです。

 

 さて、人から嫌われてしまった時、「自分が何か悪い事したんじゃないかな?」と考える人が多いのではないかと思います。それは人として正しい事ですし、何ら問題もないです。この考えをすることで、自らの行動を改め成長し、周りとの良好な人間関係を築くことができるようになると思います。このように自分自身、反省しようとして問いをたてるということは、至極真っ当だと思います。

 

 しかし、問題はその次のステップです。

 考えても具体的に自分の非が思いつかなかった時、「まあ、自分が何かしてしまったんだろうな。」「自分のせいで、相手を怒らせてしまったんだなあ。」と考えていませんか?

 この考え方をしている方がいたら、今すぐやめてください。

 相手にとってもプラスにならないばかりか、このような勘違いが自分を過度に責め、結果としてしんどい思いをする時間を増やしてしまうだけだと思います。まあ正直な話、損です。

 

 このような考え方は、根本的な勘違いが発端にあるのではないかと思います。「人は、他人の非でしか人を嫌いにならない。」ということです。つまり、自分が悪いことをしたということ以外に、私を嫌いになる理由はないというような考え方です。

 この考え方が真髄にあるので、他人との葛藤から自分の具体的な非をうまく見つけることができなかった場合であっても、必要以上に自分を責めてしまうのではないかと思います。

 

 しかし人間は必ずしも、相手の非によって人を嫌いになるとは言えません。「相手に非がある」というよりも、「相手が自分にとって都合の悪い存在になった」ということが、根本的な要因となっていることがあるのです。いや、むしろその方が多いかもしれません。

 

 例えばの話です。高校生からの仲のいい親友がいたとしましょう。あなたは、年収5000万で高級住宅街に住んでおり、高級車を乗り回し、たくさんの異性とも関係をもっています。それに対し、友人は年収200万で仕事に追われる毎日で、たまの休みも家でダラダラと過ごしていたら終わってしまいます。そのような環境で、その友人と交友関係を続けていくとします。

 彼は充実した話、羨ましい話をたくさん聞かされるのではないかと思います。それを聞いて、「この人と比較して自分は充実してないなあ。」と自己嫌悪になるかもしれません。そして、そのうちその人と関わりたくなくなり、距離を置くかもしれません。

 彼も、自分も何も悪いことはしていません。しかし、彼にとって自分が都合の悪い存在となっているのです。そのため、彼は距離をおこうとするのです。

 

あなたが悪いことをしたんじゃない。相手にとってたまたま都合が悪い存在にあなた自身がなってしまったんだ。そう考えれば良いのです。

 

 人から嫌われることは悪いことだ

 

 人から嫌われてしまったら傷つきますよね。恐らくそれが悪いことだと思われるかもしれません。

 しかし、にわかには信じられないかもしれませんが、そうとは限りません。

 今までずっと仲良くすることができていたのに、途中でどこかそりが合わないような気がしてしまい結果として葛藤関係となり、仲たがいしてしまったというような経験はないでしょうか?

 その人とのことを考えるとどうでしょう。僕はそうなるくらいであれば、最初から嫌っていてほしかったと思ってしまいます。その人と楽しく過ごした過去のすべてが、あまり思い出したくないものとして残してしまうからです。

 

 自分自身を表現して、早いうちに嫌われておいたほうが良いかもしれません。そのような無駄な時間を省くことができると考えれば、効率の良い人間関係を育む上で非常に有益なのではないかと僕は思います。

 是非落ち込まず、無駄が排除できた!と喜びましょう。

 

 考察

 やはり、私は周りの人を見ていて、嫌われたことで傷つきすぎてしまう人は、自分のことを責めすぎだと思います。自分が悪いことをしたのであれば反省しなくてはならないですし、自分の非を認めることは必要です。しかし、考えても自分の悪いことが思い当たらないという人は、反省することをやめ、「あ、この人にとって自分は都合の悪い存在になってしまったんだな。仕方ない。」と早々に割り切ってしまうのが良いと思います。そうすれば、不必要に辛い時間を過ごさなくて済みます。

 自分が相手に何をしたのか。と考える癖をつけるのが良いと思います。人によっては、例えば「触るのだけは絶対やめてほしい。」「スマホ見るのだけは絶対やめてほしい。」というように、特異的にこれはやめてほしいと思う部分があるかもしれません。しかしそれを除いては、基本的に相手が「どう感じたか」よりも「自分が相手に何をしたか」を軸に考えると生きやすくなるのではないかと思います。

 

    繊細で、優しい心の持ち主のあなたに幸あれ。

 

  

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自殺のデータに物申す!経済的問題や男女関係が原因ってそれ本当?

 随分久しぶりの投稿となってしまいました。皆様は、いかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、当人は大学で精神疾患について学習する機会が多いのですが、ある日大学の教材のとあるページで、何気なく触れたグラフに非常に大きな疑問を持ってしまいました。普段は、グラフや表を見ても、なんとなく「あ、そういうデータがあるのか~」というような受け身の姿勢が主体で、特に気に留めないことが多いのですが、今回見たものに関しては「これ本当なの?」「根拠は何?」「このデータないほうがいいんじゃない?」というような様々なマイナスの疑問が浮かんできました。

 それは「自殺の原因のデータ」というものでした。

 見る人にとっては何の変哲もない一般的なデータのようにしか思えないかもしれませんが、正直僕としては、非常に良くないデータなのではないかと思います。

 僕がそう考える理由として、信ぴょう性に欠けるという点、自殺あるいは精神障害についての社会的理解が送れるという点などが挙げられます。

 まずそのデータの概要について見ていった上で、これらについて、具体的に記していけたらと思います。

 

 

 

 自殺の原因のデータの概要について

 さて、まずは僕が述べさせていただいているデータの概要についてです。

 次の図をご覧ください。

 

 

 授業中に見たものと、全く同じ図というわけではないのですが、内容としてはほぼ同じものです。こちらは「平成25年における自殺の状況について」です。やや古いデータですが、健康問題が自殺の要因として最も多い傾向は長期的に続いています。

 その次に、経済・生活問題、家庭問題、勤務問題の順に多いのではないかと考えられています。

 やはり何度見ても異議を唱えたくなってしまいますね。笑

 今この画像を貼り、文章を打ち込みつつもそのような気分になっております。

 

 早速このデータに異議を唱えていきたいと思います。


何故僕がこのデータを良くないと考えるのか

 信憑性に欠けるという点

 何と言っても、信憑性に欠けるのではないでしょうか。経済的に困窮している人や、人間関係に苦しんでいる人は、確かに追い込まれているとは言えます。

 しかし、どうでしょうか。全くそのような原因でその人が命を自ら落としたという根拠はないのではないでしょうか。
 経済的に苦しんでいる実態があるにせよ、男女関係で苦しんでいる実態があるにせよ、一生懸命生きている人は大勢いると思います。そのような理由であの人は死を選んだというのは、あくまで第三者の推測にすぎないのです。

 

 もっと言うと、「自分で死を選ばなくてはならない」という状態は、精神的に健康であるとは当然言えません。

 極めて自殺の危険性が高かったり、人を怪我させてしまうリスクがある(自傷他外の恐れがあると言います。)場合、日本では措置入院という制度があります。精神的に危険な病であるとみなし、命を守るために、本人の意志に反して強制的に入院させるという制度です。

 そう、つまり自分の命を害する危険があるという状態そのものが、精神に重篤な疾患を患っているということになるのです。

 

 このような背景から、「いや、無理矢理データにするのであれば健康問題が100%になるんじゃないの?」と個人的には考えてしまうのです。

 

 精神疾患の社会的理解が遅れる要因になる点

 

 精神疾患について学習している身としてみると、この図は危険なにおいがします。どこに危険なにおいがするのかと言いますと、根本的な原因を知られざる状態で話が終わってしまうリスクがあるということです。

 具体的に申しますと、「あの人は男女関係で死んでしまった。」「あの人は経済的な原因で死んでしまった。」というような勘違いをされてしまうということです。

 「死を選ばなけらればならない状況に追いやられている=精神的に重篤な疾患がある」というお話は前述させていただきましたが、勘違いを助長させるようなグラフによって、このような正しい認識から遠ざかってしまうのです。

 確かに死を選んだ引き金としては、「人間関係」「経済的問題」などということはあり得ますが、根本的な要因がそれであるとは言い難いんですよね。

 

 死を考えている人がいる→重篤な精神疾患のリスクがある→専門的な支援が必要

という思考に至ってほしいところではあるのですが、そこから遠ざけてしまう恐れがあるということです。

 

 苦しむ人が増える危険性がある点

 このデータを見ることで、苦しむ人が出てくる人がいるということを、果たしてどれくらい考えて作られているんだろうという疑問が僕の中にあります。

 自殺を選んでしまった人の親族や友達は、「自分のせいでこうなってしまった。」

「自分が支えられていたら、こうはならなかったのではないか。」というような自責の念に一生苦しむことになりかねないのです。

 ただでさえ自責の念で苦しんでいるはずなのに、このあたかも正しい事実であるかのようなデータを参照することで、余計に拍車をかけてしまうことになりかねないのです。

 事実であると言い切れるなら話は別なのですが、そうとも言い切れないだけに、なんだか釈然としないなと当人は感じています。

 

 

 まとめ 

 精神疾患を患っている人は、年々増加しています。これは社会の変化がそうさせているのか、病気の人が表出してきているだけなのか、定かではありませんが、社会の在り方が問われてきていることは確かです。

 もし、周りに「死にたい。」というようなことをよく口にするという人がいたら、早急に手を打たなければなりません。

 精神科医療を利用するのもありですし、自殺相談センターにコールするのもありですし、保健所に相談するのもありです。

 「自分が支えなければならない」と考えるのではなく、「専門的な支援が必要だ」と見切りをつけ、早めに機関に繋ぐのも重要な判断だと思います。

 

 また過去の教訓から学ぶことも、同じだと個人的には思っています。「自分が支えられなかった」ではなく、「適切に専門職に繋げられなかった」と考えるべきなのです。

 もちろん自分で死を選ぶ状況を減らすことが一番ですし、最優先事項ではあります。そのためには、他者の精神疾患への理解が不可欠なのではないかと個人的には考えています。

 興味を引き付けるために過度に不安をあおったり、事実かどうか定かでないようなデータを用いるのではなく、事実に基づいた正しいデータを共有できる世の中になったらいいなと個人的には思いました。

 

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)/

 

 

ストレスの対処法は?どのようにすればよいのか

 

 こんにちは。

 コロナ禍における昨今、緊急事態宣言が再発令され、自宅時間が増加している人も多いのではないかと思います。

 そんな中で、以前と比較してよりストレスが溜まりやすくなっているという人も増えているのは事実です。

 とにかく外に出ていないと落ち着かないという人が強制的に長時間家にいることを強いられたり、家庭環境が良好ではないのにも関わらず、自宅時間が増え、精神的に負荷を抱えている人なんかもいるのではないかと思います。

 もちろん、コロナの自粛とはあまり関係なくストレスを抱え込んでいるという人もいるのではないかと思います。

 

 今日はそのストレスに対してどのように対処していくのが良いのかということを、記事にしていきたいと思います。

 

 

 瞑想

 瞑想は、ストレス対処の方法として、非常に有名ですよね。

 中でも有名なのが、「マインドフルネス瞑想」です。マインドフルネス瞑想は、何も考えないといったり、悟りを開いたりするということではなく、「今この瞬間に集中する」というものです。

 方法としては、

 ・まず楽な姿勢で座り、目を閉じる

 ・深呼吸をして、その回数をカウントする

 ・これを10分から15分継続する

 というような3点です。非常にシンプルですよね。最初は雑念が出てきますが、慣れてくるとほんの数秒から数十秒の間、完全に自分の呼吸とカウントだけの時間がくるようになるそうです。

 最初の方に出てくる雑念を、意図的に振り払う必要もないそうです。

 このような時間を過ごすことで、ストレスがぐっと軽減されるようになります。

 

 

 運動

 運動も、ストレス解消にかなり強い効果をもたらします。それだけではなく、ストレスに強い心身を作る効果も期待できます。

 運動をすると、セロトニンやエンドルフィンといった成分が安定的に供給され、疲労解消にも効果を見出せるそうです。セロトニンは、幸せホルモンなどと言われていて、精神疾患の予防にも効果をもたらします。

 また、運動をすると当然疲労しますが、その疲労によって夜の質の高い睡眠をもたらしてくれます。

 このような正のスパイラルをもたらしてくれます。

 

 ストレス解消のみならず、ストレスに強い心身を作り出してくれるというのも、非常にありがたいポイントですよね。運動は、精神疾患の予防になると聞いたことがあったのですが、もしかするとストレス対処がうまくできるようになるからなのかもしれませんね。

 

 

 ボックス呼吸法を行う

 ボックス呼吸法って聞いたことはあるでしょうか。ボックス呼吸法とは、元海軍特殊部隊が開発した、非常に簡単な呼吸法です。

 4カウントで息を吸い、4カウントで息を止め、4カウントで息を吐き、さらに4カウントで息を止めます。

 たったこれだけです。簡単ですよね。もちろんストレスの軽減にも役立つのですが、それだけでなく、血圧の降下にも役に立つそうです。

 これはとても簡単にできますし、他のストレス解消法を見ていても、比較的場所を選ばないストレス解消法と言えます。

 日常生活や職場などで、ストレスを感じそうだなと思ったとき、この4カウントずつの呼吸法を思い出して、実践して頂けたらと思います。

 

 まとめ

 いかがでしょうか。有名なもの、そうでもないものとあったと思います。

 「ストレス社会」と言われているくらい、日本では、ストレスの蓄積が問題になっているのではないかと思います。

 ストレスには、自分で気が付くストレスと、そうではないストレスとあると思いますが、これが大きくなってしまうと日常生活に支障をきたすレベルの問題になってしまいかねません。

 「最近ストレス溜めてるなあ」とか、「なんかイライラすることが多いなあ」といったような自分の中におこる小さな変化を、なんでもいいので1つ感じとったら、簡単にできるストレス対処法から始めてみるといいのではないかと思います。

 

 ストレスと戦いながら生きている皆さんは素晴らしいことだと思いますし、強いですよね。

 このブログを見ていただいた方は特に、少しでも、ストレスの対処が上手になって、日々の幸福度を高めていただけたら嬉しいなと思いますね。

 

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきましてありがとうございました(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人に優しい人ほど貧乏になりやすい??理由と対処法

 

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

 さて、早速本題に入りたいと思います。タイトルを見て衝撃を受けた人もいるのではないでしょうか?

 優しい人が貧乏に??

 どうやら、性格と収入に相関性があるそうなのです。なかなか興味深い話題ですよね。

こんな記事を書いたら、「人には優しくしない方が良いのか?」なんて思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、安心してください。2016年の論文で、「共感力の高い人(優しい人)は幸せになりやすい」という論文結果が出ています。

 ですので、優しくするのを辞めたから幸せになれないというわけではないということです。しかしこうしてみると、お金と幸せの両立がいかに難しいかがわかりますよね。

 

 

 

 何故優しい人は貧乏になってしまう可能性が高いのか

 論文によると、協調性の高い人は、破産確率が高いのだと言われています。極端に言えば、連帯保証人として、借金を肩代わりしてしまったり、誘いに断れず不本意にお金を使用してしまうことなどが原因としてあるかもしれません。

 どちらかと言うと、優しいというよりお人よしという感じかもしれませんが、、、。

 あまりにもお人好しな人は、知り合いの人から利用されてしまったり、最悪の場合、悪い人から金銭的被害に遭ってしまうという可能性も否めません。

 優しすぎて相手の言うことを聞いてしまいすぎるあまり、自分が損をしてしまいやすい人がいるというのも、事実としてあるかもしれませんね。

 

 では、どのようにすれば、優しい人が貧乏にならないようにできるのでしょうか。対処法を見ていきたいと思います。

 

優しい人が貧乏にならないようにする対処法

 

相手のお願いに対して断る練習を行う

 相手の誘いに対して断るというのは、心が優しい人には難しいものです。しかし、自分が相手のために損害を負ったり、損をしたりする必要は全くもってありません。

 そのため、自分に損害が出そうな時は、自分を守るためにも断る勇気が必要になります。

 最初は、とりわけ仲のいい人や、親しい人から練習を始めると良いのではないでしょうか。ちょっとした頼みやお願いでもいいので、自分にとって不都合だと思ったら、「今はやめておく」「また今度でも良いかな?」など、手短に断る練習をすると良いかもしれません。

 断る習慣をつけておけば、自分を利用してくる人は自ずと寄ってこなくなることが期待できますよね。

 

 仲良くする相手を選定する

 優しい人は、つい「付き合いの良い奴」として様々な誘いに闇雲に乗っかってしまいがちです。交友関係を広く持てるのは非常に良いことですが、同時に健全ではない付き合いの手が自分に伸びてくる可能性が高まることも事実です。

 当然、中には本当に大事にしようと思ってくれている人もいるはずです。ですので、選定するということが1つ必要になってきます。

 健全に付き合おうとしてくれる人であれば、簡単に「お金を貸してほしい」「連帯保証人になってほしい」というような要求を突き付けてくるということはないはずです。

 もちろん人間関係を営む上で付き合いが良いというのはプラスに働きますが、やはりうまく誘いをかわしていくことも大切なことです。

 

 

 まとめ

 優しい人が貧乏になってしまうというタイトルで衝撃を受けた人もいたかもしれません。

 しかし、金銭面で他人本位の使用率が高くなってしまい自らの貧困に陥りやすいということは、ご理解いただけたのではないかと思います。

 優しさが行き過ぎてしまうと貧困になってしまうリスクが高まるということですね。

 ですので、節度をもって他人への仁愛を大切にしていけば、自らが貧乏になってしまう心配はあまりないかもしれません。

 

 今まで漠然とした優しさで接してきた人にとっては、節度を持つというのは難しい問題かもしれませんが、自分に対して優しくするという基盤ができてこそ、他人に本当の優しさをもって接することができるのではないかなあと当人は感じています。

 とどのつまりは、時には勇気をもって断ることこそが、間接的に真の優しさをもって他人に接するということに繋がるのではないかと考えています。

 

 他人に優しくできるという才能を、自分の幸福に還元できるようになればいいですね♬

 

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)/

 

 

 

 

 

もしもTwitterで「嫌い」「良くないね」ボタンができたら

 

 SNSの主流ともいえるTwitter。日本だけでも数千万ほどのアクティブユーザーがいるのだとか。

 思ったことや感じたことを自由につぶやき、即座にフォロワーに伝えることのできるTwitterですが、現在、「良くないね」「嫌い」ボタンの導入が検討されているそうです。(現在は、「良いね」ボタンと、「リツイート」ボタンの2つ)

※リツイートボタンとは、自分の見たツイートを自分のフォロワーに広める機能です。

 

 なんだか想像するだけでも怖いですが、狙いとしては、他者への誹謗中傷などからユーザーを守ることがあるそうです。

 ではもしTwitterで「嫌い」「良くないね」ボタンができたらどうなるのか。僕なりに予想してみましたのでご覧ください。

 

 

 もしもTwitterで「嫌い」「良くないね」ボタンができたら

 炎上が起こる

 これはまず間違いなく起こります。問題発言がツイートされた場合に、即座に「嫌い」「良くないね」ボタンが大量に押され、同時にリツイートされるのではないかと考えられます。

 瞬く間に世間に知られ、やり玉にされてしまうことになるでしょう。

 問題のツイートをする方が悪い!という考えもありますが、過剰になりすぎると逆にネットいじめの原因となってしまう可能性があります。ですので、炎上しているからと言って叩きすぎないようにすることが必要になりますね。

 

 

 嫌がらせやいじめの原因になる

 ツイートに対して意図的に「良くないね」ボタンを押すという嫌がらせが生じる可能性があります。内容に関係なく、「あいつがツイートしてるから良くないねしとこ」というような形で「良くないね」を押すというのは完全に嫌がらせです。1対1ならまだ良いのですが、何人もの人達で特定の人に向かってやると、いじめとなってしまいます。

 「良くないね」ボタンにはこのようなリスクもあるのではないかと考えられます。

 

 人間関係に葛藤が生まれる

 友達同士のツイートに良くないねをするのは、葛藤の原因にもなってしまいかねないのではないかと思います。「あいつは俺に良くないねしてきた。だからあいつは俺のことが嫌いなのではないか?」というような感じです。

 ツイートに対して真面目に良くないと思ったから良くないねボタンを押した側は何も思わないかもしれませんが、押された方はもしかしたら、自分のことが嫌いなのかも?というような勘違いをしてしまうかもしれません。

 そこの判断をお互いしっかりできる信頼関係がないと、この機能を使うのは少々慎重にならなければなりません。

 

 まとめ

 いかがでしょうか。誹謗中傷やいじめから守るために、良くないねのボタンがあれば良いと考えている人がいる一方で、デメリットもあります。

 僕個人の意見としては、正直「良くないね」「嫌い」ボタンを導入させることは反対です。

 人間関係の葛藤や、新たないじめや嫌がらせの可能性を簡単に生み出してしまうリスクがあると考えるからです。

 

 ここは賛否両論あるところだと思いますが、結局のところツイートの内容を含め、ネットリテラシーを備えた人が1人でも多くなることに尽きますね、、、。

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)

自然にやってない??ポジティブハラスメントとは

 

 自己肯定感の低い人が、昔に比べて増えてきていると言われています。

 自己肯定感は、確かに高い方がいいという場面が多いかもしれませんが、「自己肯定感が低いのは悪」「ポジティブが善」というようなレッテルを張りすぎてしまうばかりに、それがハラスメントになってしまうケースがあると言います。

 

 今日はこのポジティブハラスメントについてみていきたいと思います。

 

 

 ポジティブハラスメントとは?原因は?

 ポジティブが善という世間の風潮

 ポジティブ思考が正しく、善であるという風潮がありますよね。皆さんもこれは実感しているのではないでしょうか?

 しかしこれが、ハラスメントを巻き起こします。ネガティブな考えや、ネガティブな言動を目にしただけで、頭の中のサイレンが鳴り、「ポジティブにしなきゃ!」と1人で湧き上がるのです。

 大事なのは、ポジティブの方が良いというのは、一般論でも正解でもなく、1つの価値観でしかないという理解なんですよね。

 別にネガティブで人に迷惑をかけているわけでもないし、それが悪いということはありません。

 世間の風潮に惑わされず、個人の性格を尊重すべきであると考えられます。

 

 

 

 ポジティブを押し付けることを優しさだと思っている

 ネガティブ思考の人に対して、「ポジティブに考えないとだめだよ!」ということが優しさだと思っている人がいますが、これは間違いです。

 ネガティブというマイナス要素から救ってあげようとしているのかもしれませんが、そこにも、「ポジティブが善」で、「ネガティブが悪」という前提があります。

 そのような前提が強いからこそ、「あなたプラスに考えないとダメよ」「くよくよしてちゃいけないよ」などというようなポジティブを押し付けるような言動が目立ちやすくなり、場合によってはハラスメントを引き起こします。

 

 しかし、必ずしもポジティブが善、ネガティブが悪とは言えないのです。プラスに考えてしまいすぎることで引き起こすデメリットや、逆にマイナスに考えることで引き起こされる良い兆候というのも必ず存在します。

 例えばの話ですが、ポジティブに考えすぎることで、他人に生じた問題をマイナスの側面から深く考えることが苦手になってしまう可能性があります。「なんとかなるんじゃないの?」というような楽観的な姿勢は、時にその人を必要としている人に対し、傷つけてしまうリスクもあるのです。また、ネガティブというとマイナスなことしかないように思われるかもしれませんが、そうではありません。「このような能力が自分は足りていない。」「このままでは、自分はうまくいかないんじゃないか。」などと言った自分を鼓舞するのが、ポジティブな人に比べて上手なことがあります。

 

 ハラスメントをしてしまう人は、このような視点が足りていないんですよね。

 

 そもそも簡単に自己肯定感は獲得できない

 これはそもそもの話ですが、人間簡単に自己肯定感を高められたり、プラス思考になれたりするものではありません。

 自己肯定感というのは、自分の内面的な問題であり、長年によって培われてきた部分というのが大きいため、自分の中に根強く存在している部分があります。ですから、一言で変えられるような簡単な話ではないのです。

 上司の人に、「プラスに考えていこうよ!」と一言かけられても、気持ちはありがたいですが、正直簡単に改められるものではありませんよね。

 むしろ、「ネガティブ」という側面を持つ人よりも、問題が生じるたびにポジティブになろうと心掛け、言動を改めてみたものの、なかなか上手くいかずに凹んでしまい自己嫌悪になるという二次被害のほうが私としては心配です。ポジティブに転換していくというのが難しいことであり、簡単な工夫でどうにかなるものではないというような認識が必要になってくると思います。

 

 例えネガティブであっても、長年培ってきた個人の個性として受け入れ、そこから生じている良さは何かを明らかにするのが良いと思います。その部分で、マイナスな側面をカバーしたり、前後策をうって調整したりするほうがよっぽど建設的だと考えます。

 

 

 まとめ

 

 いかがでしょうか。ポジティブに行こうぜ!と軽く言うのは良いかもしれませんが、しつこく説教じみた話をしたり、長々と話すのはハラスメントになりかねないのです。

 

 僕自身ネガティブですし、自己肯定感も低いですが、ネガティブにだってメリットや、良い部分がたくさんあるんです。そのことをもっと知ってくれたら嬉しいなあって僕は思います。

 そもそもですが、ポジティブの意味をはき違えている人も多いような気がします。

 ポジティブとは、プラス面、マイナス面、どちらでもない面などあらゆる角度から物事を分析した上で、大丈夫!前向きに物事を進めていこう!と考えることを指します。

「なんとかなるっしょ!」「まあ、落ち込んでてもしょうがないっしょ!」のような一見プラス思考のように見えるものも、単にマイナスな側面から物事を分析することができていないだけというようなこともあるのです。

 

 これをご覧になった方は、世間の風潮や、誤った考えに惑わされず、是非ありのままのご自分の強みを大切にしていただけたら嬉しいなって思います。

 

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)/

 

 

コロナで依存者増加!?スマホ中毒の危険性

 

 コロナ禍において、自宅で過ごすことが増えた人が多いのではないでしょうか?

ただでさえ、近年問題となっていた「スマホ依存」ですが、現在これがより深刻となっている可能性があります。

 スマホが便利すぎるが故に、見ず知らずのうちに陥ってしまいがちなこの「スマホ依存」ですが、一体スマホ依存(中毒)になると、どのような危険性が待ち受けているのでしょうか。

 

 スマホ依存の問題点

 ①健康被害

 スマホ依存にかかると、健康被害の懸念が出てきます。睡眠のリズムが狂ってしまったり、目の異常をきたしたりする可能性が出てきます。画面を見る時間が長いことで、眼精疲労やドライアイなどのリスクもあります。

 また、首や肩がこる原因にもなりやすいです。ストレートネックで苦しむ人も多いですよね。最近はスマホ首なんていったりしますが。

 やはり長時間におけるスマホの利用は、それだけ体の形を変えてしまうリスクもあるということですね。

 ②集中力の欠如

 集中力が無くなってしまうというのも、スマホ依存の大きな欠点です。スマホの通知が気になったり、スマホのゲームのスタミナが気になったりと、色々気になることはあるかもしれませんが、意識がそっちのけになってしまい、肝心の物事に取り掛かれません。

 これは若い世代に陥りがちな問題なのではないかと思います。目の前のことに集中するという習慣が、スマホの存在によってそがれてしまっているという事実は多分にありそうです。

 

 

 ③経済的・社会的トラブル

 生活が乱れることによって、遅刻や欠勤、不登校などが増えるリスクがあります。また集中力の低下によって、留年や退学に追い込まれたり、社会人なら失業に追い込まれてしまうリスクがあります。

 スマホ一台というほんの小さな長方形に、失業や留年に追い込まれると考えると、ものすごい影響力だなということを痛感できますね。

 

 まとめ

 いかがでしょうか。どうしても家の中にいる時間が長いと、手短に時間をつぶして過ごすことができる便利すぎるスマホに手を出してしまいます。特に学生はそういう人は多いのではないかと思います。(自分もしかりです。笑)

 しかし、見ず知らずのうちに危険性の手が自分に忍び寄っていると思うと怖いですし、気を付けなければならないなと思います。

 

 個人的にはですが、あえて今の時代に紙類を主体に有効活用してみるのも良いかなって思ってます。本に雑誌に新聞。目指せ脱携帯!笑

 

 拙いブログではありましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました(^^)/